夫婦の絆を確かめ合った日

「絆」とは、一体どのようなものでしょうか?

「二人は強い絆で結ばれている」とか、
絆とは、このような使われ方をしますね。

絆とは、あくまでも人間同士の場合です。

例えば、社内LANで会社の中のPCがLANケーブルで結ばれていても、
「ウチの部門のPCと営業部門のPCとは強い絆で結ばれているんですよ」
とは、普通は言いませんね。

日本には昔から「任侠道」というものがあり、
親分子分の間で関係を強くするため、「固めの杯」を酌み交わし、
人間関係を強めたものです。

これも「絆」の一種でしょうね。

では、そういった裏社会の人達の絆と、夫婦間の絆とでは、
違いがあるのでしょうか?どこが違うのでしょうか?

裏社会の人たちの絆は、個人に対し強い強制力を持ちますが、
夫婦間の絆は、確かに強制力は必要ですが、
あくまでも「常識の範囲」の中での強制力です。

というよりも、常識を守れるかどうかということですね。

例えば、不倫は裏切り行為です。
しかしこれは、不倫をしてはいけない、という強制でしょうか?

だとすると、人間は獣と変わらない存在に堕ちてしまいます。
猛獣使いは、猛獣にエサを与えてムチで脅かしながら、
猛獣を手なずけていきます。

しかしこれは、動物には理性でコントロールできない存在であるがために、
強制が必要ということなのです。

そのため、人間でも年齢が低い時は、親はシッカリと叱らないといけません。
この「叱る」という行為が強制力です。

しかし、叱らなければいけないのは、幼稚園生以前の段階ではないでしょうか?
「三つ子の魂百まで」と言われているように、
人の幼児は3歳までは頭蓋骨も安定せず、潜在意識も開いているようです。

この時期に教え込まれたことは、一生その人を左右してしまうのです。

しかし現状、残念ながら多くの成人に「強制力」が必要ではないでしょうか?
これは、成人した大人でも中々倫理的な約束事を守れない人が多い、
という証拠でしょうね。

この約束事守るということを自然に行える人間であれば、
絆という言葉や概念すら必要ないでしょう。

○夫婦は相手を尊重し、互いに敬わなければならない、という強制。
○夫婦は何か目前に問題が起きた場合は、
二人で仲良く話し合って解決しなければならない、という強制。

これらの強制力は、絆を構成する要素みたいなものですね。

夫婦生活以外の局面、例えば商取引の場合、契約書というものを交わしますが、
これは契約を交わさないと、互いに身勝手に行動するから、
という前提で作成されるものですね。

結婚もまた契約なのです。